指先が描く美しい薄さ。
吉田直嗣インタビュー。

陶芸家・吉田直嗣さんの展示が、
6月28日〜7月2日にLife'sで開催されます。
展示に先駆けて、富士吉田の
直嗣さんのアトリエでお話を伺いました。
Life's ディレクターの吉田怜香が
かねてから愛用する器の背景にある、
率直で嘘のない言葉を、ここに記録します。

吉田直嗣

Naotsugu Yoshida

Profile

1976
静岡生まれ
2000
東京造形大学環境デザイン科卒業
陶芸家黒田泰蔵氏に師事
2003
富士山のふもとに築窯

陶芸って、他者が入り込まないんですよ。
完成まで。

ー今回、Life'sで実施する展示では、どのようなものが販売されるのでしょう?

何を作るかはまだ決めていないんです。僕はテーマは決めずに、作りたいものをどんどん作っていって、溜まったら展示をするというスタイルをとっていて。1日ごとに作りたいものが変わったりするので、決めすぎるとやりにくくなってしまうんですよね。

ー制作には、何か法則のようなものはあるのでしょうか?

どうしても気分が乗らない時は1日何もしないということもあります。最近はほとんどないですけどね。やるときは何も考えず、深夜までひたすらやってます。陶芸を、仕事というか、義務的なものだとはあまり思っていないんです。

ーある種、理想的な形なのかなと思います。

そう言っていただけるとありがたいです。作るものは基本お任せしていただきたいとお店の方々に伝え続けているんです。もちろんすごく面白そうな提案をいただいたらやってみるけど、過去と同じものをそのまま作ってほしいっていう依頼は受けないんですよ。

ー展示をするお店はどのような基準で判断されているんですか?

基準を決めてはいないかな。面白そうだったら受ける。そうでなかったら、静かに距離を取ったりします(笑)。

ー音もなく逃げる動物のようですね。

社会性がないのかもしれない。陶芸に出会った大学の頃からずっとそう思っていましたね。大学では家具デザインを学んだんですけど、自分には向いていないなと思って。サークルで陶芸に出会って、そこからはまっていきました。

ーその感覚についてもう少し詳しく教えてください。

陶芸って、完成まで他者が入り込まないんですよ。デザインの場合は、クライアント然りチームのメンバーがいたりして、一人では完成しない。 勝手にやって、勝手に出して、売れるか売れないかはその先の話。僕はそれが形になればハッピーだし、手の内に収まるサイズ感が良いんです。身体の範疇を越えちゃうようなサイズ感のものはうまくできない。僕にとっては器の大きさが一番コントロールしやすいんですね。みんなが就職活動している中で、社会に組み込まれながら働いたり、ものづくりをしたりするのは、僕には無理だなーって思っていました。

やりたいことをやって作りたいものを作るということだけです。

ーそこから20年以上、陶芸を続けていると。

・・・そうなんですよ。初めて粘土を触った時から25年経つんです。怖いですよね(笑)。大体のものにはすぐ飽きちゃうんだけど。唯一飽きないでやってられるのが陶芸で、好きなことを地道に続けてきて、それが仕事になって、よかったなって。

ー陶芸家の生活ってイメージしにくいように思います。生計が立つようになるのはどのタイミングだったのでしょう?

世間一般で言う生計が立つっていうのが、どういう状態なのかわからないんですよね。死なないようにやっていく、みたいな感覚が強くて。まともに食べられるようになったのって、ここ10年くらいじゃないかな。焼き物の同業者はみんなお金に執着がなくて、僕もあまり気にならないんです。逆にお金があるとびっくりしちゃう。なんか怪しいことやってるの?って(笑)。

ーお金がモチベーションになる人もいると思いますが、直嗣さんはそうではなかったんですね。

もちろん、ご飯が食べられないのはつらいので、ある程度は稼ぐ方にウエイトをおいてもいいのかなと思うんですけどね。稼ぐために作るという感覚はなくて。基本的にやりたいことをやって、作りたいものを作るということだけ考えています。だから、気分が変われば、突然まったく違うものを作るかもしれない。

ーそういうことも考えるんですね。

固定的なイメージを持たれる心地悪さってあるじゃないですか。こういう人だって決められちゃうような。そうすると、自分の中の天邪鬼が動いて、違うことをしたくなるんです。とはいえ、僕はわかりやすい天邪鬼だから扱いやすいですよ(笑)。

ー実際に形を作るときは、手先の感覚で探っていくのでしょうか?

ぼわっとした全体のイメージがなんとなくあって、それに近づけたいなーという感じで作って行きますね。先に鉛筆で下書きをする、ということはないです。僕は手癖で、薄くしちゃうんです。レストランで使うからちょっと厚くして欲しいって言われてもできない。よくならないんです。厚いものが欲しいなら、それが得意な人にお願いした方がいい。薄いのが必要だったら僕に言ってください、と思います。

ーこの薄さが魅力ですよね。このマグカップの飲み心地も素晴らしいです。

普通に褒められると照れちゃいますね(笑)。

お金がもらえるから仕事だけど、お金が貰えなくても面白いと思えることだったりするので。

ー例えば、家や服など、身の回りのものの選び方についても教えてください。

それもわりと直感なのかな。好みから外れていないものを選んでいます。で、ものによってその好みからどのくらい外れていても許容できるかが違うんです。器に関して言えば、僕は自分の器しか使えないんですよ。自宅では、ということですけど。

ーえ、そうなんですか。常に自分の器を持ち歩いて、レストランでこの皿に盛り付けてくれ、って言うのは、難しいですよね。

本当はそれをやりたいくらいなんですけどね(笑)。多分、自分が好きなんですよ。ものを作る人はナルシストだと思っています。僕が器を作りはじめたきっかけは、大学に入って一人暮らしをして、お店に食器を買いに行ったら全く欲しいものがなくてびっくりしたことなんです。陶芸サークルに入って、やっと自分の使いたいものが作れるって思ったんです。実際に使いたいものが作れるまでには、かなり時間がかかったんですけど。

ー自分が使いたいから作っているということでしょうか?

半分はそうですね。自分の家にあって、嫌じゃないものにしようと思っています。もう半分は、作品という感覚で作っています。ただ、買ってくれた方が道具として使ってもいいし、使わずに飾っても構わない。犬のご飯を盛ってもいい。なんだって構わないですね。僕の手元から離れた先は、僕の関与するところではないと思うんです。

ーでは、一番テンションが上がるのは、作っている時ですか?

作っている最中ですね。ろくろを引いて、「わー良くなりそうだな」って、感じている時が一番いいです。そこから削って、焼いて、そういう過程で、最初のイメージと少しずれたりしてくるんです。満足できないからこそ、ずっと作り続けられるのかもしれません。

ーTODAYFULのテーマでもある、充実しているということについても聞いていきたいです。

好きなことをやって食べていければ、それ以上望むことってあまりなくて。だから、充実していない状態という感覚が、今はないかもしれないですね。常に充実っていうのも少しニュアンスが違うんですけど。多分充ちているでしょう、くらいの感じで。

ーその状態に至るまでには、苦しいことはありましたか?

売れていない時は、たしかに苦しかったですけど、僕が作ったものはいつか売れるんじゃないかな?って思っていたんです。だから、悲観したことはないんですよ。お金がもらえるから仕事だけど、お金が貰えなくても面白いと思えるのが陶芸なので。そう感じている限りは、ずっと大丈夫だと思います。

ー店頭で直嗣さんの器を目にするお客様に対して、最後にメッセージをいただけますか?

服を選ぶ時って、理屈や機能もあるけれど、気分を大切にして選んでいると思うんです。それに近い感覚で、好きとか嫌いとか、そういう部分で選んでもらえたら嬉しいです。僕自身も好きだから作っているので。それが全てなのかなと。

Photography / Ryutaro Izaki
Text / Taiyo Nagashima